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先物取引

一般には、将来一定時期に約定した物品を引き渡すことを内容とした取引をいう。狭義には、取引所で行われる取引方法の一種をさす。先物取引の目的には次の二つがある。第一は、不確実な将来の状況から生じる価格変動の危険を避けるため、現在の約束で将来をつなぐことであり、第二は、この危険をむしろ利用して積極的に利益を得ようとすることである。取引所における先物取引は、将来の一定期日に現物の受け渡しをするか、その期日までに反対売買(最初が売りなら買いに回る)し、差額(差金(さきん))の授受で決済すること(差金決済)にして売買約束をする取引をいう。契約成立時に現物の授受を行う実物取引と対比される。証券取引所では、第二次世界大戦後の再開時に先物取引を原則として禁止した。しかし、市場の活性化を目的とした金融改革が進められるなかで、1985年(昭和60)、東京証券取引所に債券先物市場が開設されたのに続き、株価指数、通貨、金利など各種の先物市場が開設され、取引が行われるようになった。商品取引所においての先物取引は、戦後もとぎれることなく続けられ、そこでは、まえもって商品の銘柄を定め、それについて取引する銘柄取引(銘柄売買)と、ある銘柄を標準物と定め契約はその値段で行うが、受け渡し現品が同一品種の異なる銘柄であっても標準物との差額を授受して決済できる格付売買(標準物売買)とがあるが、後者が多い。受渡し期日は毎月末とされ、これを限月(げんげつ)制という。売買契約した月末に受け渡しするものを当限(とうぎり)、翌月末のものを中限(なかぎり)、翌々月末のものを先限(さきぎり)という。先限は翌月には中限に、翌々月には当限になる。 『Life』(鈴木氏がパーソナリティを務めるTBSラジオの番組)なんかを聴いていると、チャーリーさんは、ひとつのトークテーマに対していろいろな議題を提出する、というイマドキのアジェンダ・セッティングのしかたが非常にウマいですよね。アジェンダの生態系の中を探検して、地図を描くというのに適しているキャラクターなんだと思います。 たとえば「恋人が欲しい」という悩みがあるでしょう。でも、恋人がいないのが問題なのか、異性の前に出られる服を買うカネがないのが問題なのか、恋人はいらないけれど恋人の自慢をする友だちが憎いだけなのか、一見同じように見える「悩み」にも、な内実があるわけです。しかも、ひとつの問題が解決したからすべての悩みが尽きるとは限らないし、自分ひとりでは解決できない問題もある。今、若者の問題というと、自己責任か、社会の責任か、を問われがちですが、僕は「社会問題が解決すれば自己責任も解消される」とか「社会はどうしても良くはならないから、自分の気持ちを切り替えろ」という両極端な議論では、なにも解決しないと思っています。 人は「社会の問題と個人の問題」「自分で解決すべき問題とそうではない問題」「人と協力すれば解決する問題と自力で解決できる問題」など、いろいろな綱引きの狭間に立たされている。そして、どれかひとつを引っ張りすぎると、絡まっていた別の綱まで引っ張られてしまって、むしろマズい結果を招くことも多い。それなら、ひとつの答えで事足れりとするのではなく、今、自分はどういう外貨預金の渦中にいて、どれを自分で引っ張れるのか、どれは人と協力しなければ引っ張れないのか、そもそも引っ張る前に動かしようのない問題なのか、をしっかり切り分けて、それぞれを少しずつ引いてみなければならないんですよ。 Q&A本でもそういう回答を心がけた? たとえば、一番最初の「働いたら負けだと思う。けど、IPOに負けそうです」っていう質問についても、社会的に解決できる問題、個人が解決できる問題を提示した上で「まあ、お腹が空くんなら、とりあえず働いてみたら」とオトす。普通はやらないような答え方をしたつもりです。「腹が減ったなら働け」って言っちゃったり「お腹は空きながらも働きたくない気持ちはわかる」と共感したフリをしたりはしたくなかった。「働かないのもアリだし、腹を満たすのもアリ」と、選択肢はどちらにも開いておいてあげたいですよね。 実は『サブカル・ニッポンの新自由主義』を出すときにも、同じ危惧をしていたところではあったんですよ。それまでは著書の中では実存的な問題を取り上げつつも、できるだけ研究者の視点で書いてきたつもりなんですけど、『Life』に出始めた(06年)ことで、同世代の共感の対象という見られ方もされ始めていた。そして『サブカル・ニッポン〜』では、カタい書き方をしていますが、最終章の最後の最後にだけ、文章の主語を「私たち」という一人称複数にしている。つまり、自分たちの世代的なものを引き受けようとする書き方をしてみたんです。だから「お前になんか引き受けられたかねぇよ」という意見も含めて、自分がなにかを投影される存在になるのかもな、という気持ちはありました。 でも、なりはしませんでしたよね。 それは、折良く、いや折悪くですね(笑)。刊行直後に金融危機が起きちゃったんですよ。おかげで「これはいよいよ金融の時代、強欲資本主義の終わりであって(鈴木氏が特に語る)新自由主義なんてものは、分析するまでもなくもう終わり」というムードが、一瞬ではあったものの蔓延してしまって、僕への扱いもそんなに変わることはなかった。ちなみにそんな話を書いているわけじゃないので、『サブカル・ニッポン〜』の売り上げ的には、「折悪く」だったんでしょうね(笑)。新書の展開は速いですから、その時々のタイミングで、刊行直後に形成されたイメージが後々まで影響を与えるのは仕方がない。でも本当は人文書って、3年くらいたってようやく正当な評価が見えてくるものだと思うんですけど。 たしかに今回の為替は、今までの著作の中でも最も柔らかいし、想定している読者の年齢層も広いから、今度こそおっしゃるような「タレント」的な扱いを受けてしまうのかもしれませんね。でも、僕ってだいたい、そういう他人が抱いているイメージを裏切っちゃうんですよ(笑)。この本が今年の〆の仕事になる上に、しばらく大きな執筆の予定がないから、当面は柔らかい見られ方をするかもしれないけど、次はメチャクチャ難しい本を出すかもしれないし、もっと柔らかい本が出るのかもしれない。だから、パブリックイメージに囚われて「次の一歩」が出せなくなる心配はあまりないですね。むしろこの本では、過去の恋愛話をチキさんに引っ張り出されたことの方が頭が痛いなぁ(笑) 恥部を存分に露出させてみました(笑)。